2021.10.16 本日の稽古を終わりにします。
「見返して」の話。
今回は「見返して」のお話です。
我が振りというか、背中は見えないというか。
自分て思ってる以上に見えてない事ありますよね。
空手では一つ一つの動きに意味があり、その意味に基づいた動きである必要があります。
単に力が強ければ良いという単純な話ではありません。
一般論として力が強い方が「強い」と思うことがあるかもしれませんが、空手ではもとい護身の観点からはナンセンスです。
受けて返すしかり身体操作、身体操法が大事となっていきます。
弱いものが強いものに「負けないため」の技術が空手には求められますから、そこは重要です。
それで、なんですが...
先にも述べたように「自分て思ってる以上に見えてない」です。
空手の稽古では鏡を使った稽古も行います。
ちょっと話ズレますが、本部道場での稽古に参加した際に鏡を用いた稽古を行いました。
一つ一つの動きを丁寧に行っていったのですが、ボロが出るわ出るわ。
笑っちゃいます。
普段の稽古で行っているその技が、傍目で見るとまぁずれてますよね。
もちろん機械じゃないので、すごく正確に出来るというのは少し話が変わってきます。
自分で思っている場所、その空間、身体操作が違っているんです。
自分の身体とその空間の認識のずれ、これは多くの人が気付かないまま過ごしているもの。
例えば、越えられるはずの段差に躓くとかぶつけるはずのないタンスの角に小指をぶつけるとか。
これらは空間認識と身体のずれが引き起こすものです。
「はずのない」って言葉は自分の能力を過信している時に使われることが多いので。
さて、今日の稽古では型の細部を詰めながら稽古を行っていきました。
初めて行う型ですから、「出来ない」が当然です。
それでも何度か目にする、身体を動かす度にしっかりと着実に変化していきます。
ただ、身体を動かすというのはクセがついてしまいやすいので、修正は必須です。
案外と自分は大丈夫なんて思っていても、「自分が思ってる以上に見えてない」部分はありますからね。
ちょっとでもすこしでも一歩でも前に進めているのなら、大丈夫。
OKです。
空手の稽古は前に進むこと、自分の苦難を勇気をもって進みだすことですから。
と、自分にも言い聞かせて支部ログ、終わります。
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