2021.11.20 本日の稽古を終わりにします。
「しっかりと」の話。
今回は「しっかりと」のお話です。
誰が「しっかりと」ですかね?
誰もが「しっかりと」です。
「しっかりと」ってなんですかね?
最近はちょっと哲学的な雰囲気ありますよね、この質問。
簡単によくはなしてしまいますよね、「しっかりと」って。
「普通」と同じぐらい。
これって何でしょう。
空手をやっていると、この時はこう、これはこうしよう!などの注意やルールがあります。
各道場や流派によってもその注意やルールは異なると思います。
どれが正解か?なんてことは空手をやっている人それぞれにあると思います。
多分、自分が観ている空手とその上の先生方が観ている空手も厳密にいえば異なるでしょうし。
もちろん先生方から教わる内容を再現できるように指導するもの私の仕事です。
勇進会の教えを「しっかりと」伝える。
これはとても難しいんです。
自分の解釈が入らないように、でもなぜそうなのかを知るというか。
その上で分かるように伝える。
言う方は簡単ですからね、「違う」って言うだけですから。
言われる方は何が「違う」か?って考えます。
身体が固いから違うのか、動きそもそもが違うのか?
そのいずれも当てはまることもあります。
そして、それは今すぐできる事とできない事もあります。
成長途中の身体ではできない事もあるので、それはいったん問題を置いておく必要があります。
そういった事も指導の配慮に入れています。
頭で理解できるという事も大事ですし、直感的な動きが出来るという事も大事です。
ただ、いずれも動くことは共通してます。
その動きはこうとか、この動きはここを注意とかいくつも考えながらの作業ですから、空手も簡単ではありませんね。
自分がどう動きたいか、どうしたいかという自問自答も含みますからさらに難しい。
とはいえ、空手を通じてこういった作業を繰り返すことは普段の生活にも必ず役に立ちます。
何かをすることは必ずルールが存在します。
そのルールを守るためには自分の振る舞い行動に注意を払う必要がありますからね。
ぶっちゃけると何でも共通点見出せます。
健全な身体、鍛えた身体はちょっとやそっとじゃ崩れませんしね。
ちょっと理不尽な教えも心が鍛えられる場面にもつながります。
心身ともに鍛える空手。
面白いですね。
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